感情の行き先

忙しさとイライラ

自分に余裕がないと、様々なことに対して(他人にも自分にも)許容できることが少なくなる。誰かの悪気のない発言に「無神経だ」と思ってカチンときたり、自分の小さな失敗がどうしても許せなかったり。
でも、今晩ツラカッタのは忙しいからではない。もうここにも書きたくないくらい、厭世的になった。奈落に落ちた後、自力で這い上がれないときはどうしたらいいのだろう。。。
誰も手を差しのべてくれないとき、それでも生きていかなければならないとき。
家に帰ってから、我慢するのをやめて声をあげて泣いてみた。少しだけ、落ち込んでいる自分がバカらしく思えた。よし、まだ私はイケる。

家族のような絆

私は他人に求めるものが大きすぎる。信頼したい、あるいは信頼して欲しい相手に対して、家族のような気持ちの結びつき(言葉で確認しなくても絆を信じていられる関係)を期待してしまう。
それはドキドキやときめきを伴う恋愛感情とは全く異なるものだ。
相手が同性でも異性でも同じように感じる、親愛の情、人肌の温もりだ。
本当の家族はそういう気持ちを多分共有できるのだけれど(だってそれが家族だから)、赤の他人にそれを期待するのは、相手には酷だろう。
子供の頃、親から愛情を注がれることに貪欲だったからなぁ…未だに自立できていないってことか。