軽い依存症

依存症とは、精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激なしにはいられない状態のこと。その原因となる物質や行為の言葉を冠して「○○依存症」と呼ぶが、世間で言う「○○中毒」もほぼ同義である。こういう症状に陥りやすいタイプやタイミングが必ずある。物事に対して受け身な人とか、自信を喪失している時とか。
Suzumeはどちらかというと、陥りやすい人間かも。道徳心や倫理観が強いから、麻薬のように法に触れるものや、アルコールや怪しい宗教のように社会的問題になるものに対しては心理的抵抗がキッチリ機能するけれど、他人の意見に左右されやすいし、世間の潮流に流されやすいし、思い込みも少々強いところがある。病的ではないけれど、軽い依存症になりやすいってことなのだろうか。
こんなことを考えていたら、昔読んだ小説「恋愛中毒」を思い出した。発売された当時、Suzumeは少し前に経験した大切な人との永遠の別れから立ち直れずにいて、「誰かに心をひらく」ことを拒否していた。そして、そんな心理状態なのに、何かとSuzumeを誘う男性の存在に困惑していた。それなのに、書店に平積みにされた単行本を買う気になったのは、「林真理子氏、絶賛」と本の帯に書いてあったからだ。話のディテールは忘れたけれど、主人公の女性が恋愛にのめりこんでストーカー行為に至る過程を書いた内容は、人間の深層に潜む醜い気持ちを容赦なくえぐるもので、読んでいて吐き気がした。どこまでもどこまでも人を好きになってしまう。自分と相手を同化してしまい、求めるものが重すぎて相手を追い詰め、そのことで自らも追い込み、深く深く傷つく。傷ついて反省しても、次もやはり同じことを繰り返してしまう。これが恋愛中毒なのだと思った。
「諦めると決めたことを、ちゃんときれいに諦めるように…他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように。」小説の最後の表現で気がついた。Suzumeは物事に対して未練がましい。諦めが悪いから、相手にも自分にも何らかの傷を残さないと終わらせることができない。自分も相手も傷つけてしまうかも知れない結末が怖いから、誰かをすごぉく好きになることに対して否定的なのだ、と。その事実を無遠慮に突きつけてきたから、この小説を読んで気分が悪くなったのだ。
今も本棚にある新品同様の同著を、Suzumeは多分、二度と読まないと思う。つまり、それだけ秀逸な作品なのだ。
恋愛中毒