十二夜@歌舞伎座

suzume-smile2007-07-08

七月大歌舞伎「十二夜」を観てきました。歌舞伎もシェイクスピア蜷川幸雄演出も好きなSuzumeにとって、この組合せがどのようなシナジーを生み出しているのか、興味深々。(2年前の初演を見逃しているのです)
定式幕が開くと、一面の鏡。客席が舞台いっぱいも写っている演出に観客の「おぉ〜」というドヨメキがあがる。この時点で既にNINAGAWA歌舞伎の空気に皆、飲み込まれているのです。そして一枚の幕が上がると、舞台いっぱいに咲き誇る桜、チェンバロと少年達の歌声が物語の始まりを告げるのですが、歌声のまた儚げで美しいこと。まさに夢の世界へと誘う声です。。。と、暗転して、鏡が左右に割れると巨大な船が舞台奥から進んできて、第一幕の開幕。菊之助が若衆とお姫様の一人二役の見事な早変わりを披露し、波模様の布に大勢の人が入ってダイナミックに船に押し寄せる嵐の大波、ドンドンと鳴り響く太鼓…歌舞伎らしさと蜷川演出の融合のダイナミズムが第一幕第一場を盛り上げます。
伝統的な歌舞伎と比べて暗転が多いなぁ、と思いましたが、こまめに場面が切り替わることで観ている側を飽きさせません。歌舞伎役者は幼少の頃より鍛錬しているだけあって、舞台上の動きも美しく発声も明瞭。若手の演者も俄か人気タレントの芝居とは断然、格が違います。単に蜷川ワールドに埋没するのではなく、美しい歌舞伎の世界を織り成していました。義太夫や歌舞伎でお約束の鳴り物と西洋楽器の組合せも芝居に本当に違和感なく溶け込んでいることは小さな驚きでした。そして何よりも、鏡を用いた演出には驚きました。本来、話の展開には鏡は必要ないのですが、随所で鏡を配置することによって「背中の演技を観る」という視点が生まれ、また花道を進む役者を鏡を通して正面から見ることができたのもSuzumeには新鮮でした。
歌舞伎独特の優美さや台詞回しあるいは狂言的な滑稽な動作と、シェイクスピアの得意な言葉遊び、そして現代劇の演技。伝統的な要素を継承しつつ、ハイブリッドな新しい演劇を見せてもらった、という感じです。本来、歌舞伎とは民衆が楽しむエンターテイメントとして発展してきたもの。伝統だ、格式だ、と型を重んじるだけではなく、このように外界の文化をうまく取り込むことで、歌舞伎は”今”を生きていくのかも知れません。
個々の演技まで感じたことを書いていくとキリがないのですけれど、菊之助は主膳之助・琵琶姫とも本当に美しかったです。獅子丸姿(男装)の琵琶姫がウッカリ”素”に戻って甲高い声でシナを作ってしまうような演技では笑いを取っていました。こういう場面は現代劇の要素を上手に取り入れていたと思います。尾上菊五郎の丸尾坊太夫捨助一人二役もすばらしかったです。特に捨助狂言廻し的な存在感が突出して良く、(これまでは菊五郎ってあまり好みの役者ではなかったのですが)さすが人間国宝だと感銘を受けました。
今回の舞台できっと一番、観客から笑いをとっていたのは、市川亀治郎(麻阿)でしょう。大河ドラマ風林火山」では武田信玄という重厚な大将役の彼ですが、歌舞伎座では機転が効いて少々イジワルな腰元役を見事にコミカルに演じていました。とにかく面白くて、舞台でも(脇役なのに)存在感タップリでした。
このお芝居を観られたことは幸せ♪です。