知恵と知能

本日はイタリアンでした。
「Suzumeは"知能"は高いけれど、"知恵"がまだまだ足りない」と言われました。わかってます、それは。耳が痛いです。"知能"はある意味、本能的なもので親からの遺伝等で備わっている(もちろん磨く環境になければ宝の持ち腐れになるから後天的な面も皆無ではない)けれど、"知恵"は経験と学習で己が身につけていく「生きる術」ですよね。Suzumeは不器用な生き方をしている、と自分でも思っています。
でも、やっぱり「人間の器」ってあるんですよね。Suzumeだって努力しています。でもやはり、根っからの大らかな人には全然適わないのです。あるデリカシーに欠いた場面に直面して、それを「むむむっ」って感じてピリピリしてしまう人と、「あらあら」ぐらいにしか思わない人。Suzumeは前者なんですもの。だから、そのことを何ごとも無かったかのように流すためには(後者は自然にしていればいいけれど)感情を抑えるとか我慢するとか、そういう忍耐のプロセスを要するわけで、そのことでストレスがかかってしまいます。渡辺淳一氏が的確な表現を生み出してくれたけれど、そう「鈍感力」がすごく足りないのです。組織において求められる"知恵"って、許容心とか思いやりとか色々あるけれど、前提にあるのは軸が振れない自己の存在。それって、鈍感力と無関係ではないと思うのです。
実に器の小さい人間だと思います。でも、そういう人間に対して、ただ「知恵が足りない」とズケズケ言うのではなく「器の小さい人間はどのようにして知恵を身に付けるのか」「鈍感力のない人間がその力をアップするにはどうすればよいか」を説教していただきたいものです。本人も困っているのですから。。。