God’s calling

家族会議の後

金曜深夜の家族会議で一応の結論が出ていたものの、私はまだどこかに迷いがあった。そして、その気持ちをメールに延々と綴って、NYに住む友人に送った。これは土曜日のこと。時差が14時間。昨日はメールが来ていないかと、何度も受信箱をチェックした。
今朝、起床してすぐに受信箱を開けたら…送信者名に彼の名前が!
すぐに開封して目を通して、そこで私は考え込んでしまった。そこには、私が自分でもはっきりと自覚できていないブラックボックスを的確に、しかも傷つかないように優しく開けようとする言葉があった。彼は本当に優秀で誠実な友人だ。だから彼には相談したいと思う。そして、優秀だからこそ、こうして扉をほんのちょっとだけ開けてしまうのだ。
その扉を自分が開けるのかどうかは合理的で整理された判断ではなくて God's calling だ、と彼のメールには書いてあった。私には天の声が聞こえるだろうか。 朝から家でそんなことを考えていて、出社が遅くなってしまった。

夜、再び

大好きな知人と会った。先日のショッキングなことで自分の中にわだかまりもあったし、彼には今回の問題を話さないでいようと思っていたのだけれど。でも今朝になって扉が少しだけ開いてしまった気持ちを持て余していた私は、急に知人の意見も聞いてみたいと思った。結局こうして、Suzumeは自分の立場を自ら弱くしていってしまう。
NYの友人との交信記録をプリントして、知人のところへ持っていった。知人は、最初にSuzumeが自分の気持ちを綴った長い文章を一通り読んで、「ここに書いてある通りでいいと思う。自分のことも現状もよく分析しているね。Suzumeはすでに結構大変そうだし、色んなことを同時並行にできるタイプではないと思う。それでいて、手抜きもできないみたいだし。」と言った。
でも次に、彼の返信メールを読んで「うーん…」。「すごいなぁ。こういう気の利いた言葉、自分には絶対に思いつかないなぁ」と、感心しきり。(違うって。彼の言葉に感心するんじゃなくて、貴方の考えが聞きたいんですけど。)と思ったら、「こういう洒落た表現はできないけど、自分も最後は彼の書いていることがポイントだと思う」と。そして、自身の経験(具体的内容までは話せないみたいだった)や、その時に考えたことなどを懸命に話してくれるのだった。
こうやって真摯に、相手に応えようとしてくれるところは好き。