アカデミー賞はアカデミック?

今年も予想の範囲内

アカデミー賞の各賞が発表された。数々の屈辱(だっただろう)を乗り越えて今年ようやく主演男優賞にノミネートされたレオナルド・ディカプリオだったが、オスカーはあっさりとコメディアン出身俳優ジェイミー・フォックスに持っていかれてしまった。でも、これは予想の範囲内だろう。レイ・チャールズが亡くなったばかり、その神様のような存在のレイを仕草もそっくりに演じたのだから。
ジョニー・デップが獲るかも知れない、と真剣に思っていた人は多数派ではないだろうし(演技力はあるけれど、彼はやはりアウトローな存在であり続ける方が魅力的)、クリント・イーストウッドのようなお爺さんよりは、これからの俳優人生への期待が持てる若手に賞をあげたい。
レオナルド・ディカプリオにはツキがない。それにあの甘いマスクとアイドル的人気で損をしているのだと思う。アカデミー協会は、アイドル=実力を伴わない人気、という杓子定規で見ているのではないか。トム・クルーズだってあれだけ真摯に映画に取り組んでいるのに、アカデミー賞には縁が薄い。ちなみに、私はトム・クルーズは好きだけれど、レオナルド・ディカプリオは好きじゃない。好きな容姿かどうか、と言う違いもあるけれど、レオナルドは何となく不健全な気風が漂うように感じてしまう。
 
かつて、19世紀フランスのアカデミー界は、後に印象派と呼ばれるようになる画家達の作品を下品だとして認めなかった。
音楽のアカデミズムにおいては、エリック・サティの音楽はずっと軽んじられてきた。
要するに、アカデミーって、頭が固いんだなぁ。私は印象派の絵が(後期印象派なんて特に)大好きだし、サティのちょっと少女趣味(と言われて軽んじられた)な曲も好き。