他人を憎まず

朝、会議にて

ある会議に出席。先方が、挨拶したSuzumeに向かって開口一番「何があったの?」と。「だって前の部署、この3ヶ月で全員交代したんでしょ。普通は『何かがあった』と思うよね?」要するに、他の2人だけでなく、Suzumeまでもが異動したからには何か組織において問題があったのだろう、と言いたいのだ。苦笑いをしてやり過ごしたけれど、心の中はドンヨリと曇った。
先方は明るくズバッと言う人みたいで、その言葉自体に嫌味はなかったのだろう。でも世間はそういう人ばかりではない。面白おかしく「ここだけの話だけど」と適当なことを言う人もいる。噂とはそうやって無責任に広がっていくものだ。これから先、Suzumeも「事実無根の噂」という目に見えない敵と闘わなくてはならない場面があるのかな。

昨日の疑問の続き

人間には何故、憎むという感情があるのだろう。
昨日書いた言葉は、実は自分自身に対する問いかけでもある。前にも書いたけれど、相手を恨んだりするのは簡単だ。相手を信じ続けることの方がずっと大変なんだ。憎しみや怒りは報復によって消すことはできない。だから、Suzumeは誰かに何かをされても仕返しはしない。昔も今も、それは一貫している。
「それじゃ、相手の都合のいいようにやられっ放し?」という声もある。
でも報復したら、その相手は反省する?しないよ、きっと。結局、どこまでも自分を正当化するだけだと思うし、相手もまた報復のつもりで仕掛けてくるかも知れない。
では、憎む感情はどうしたら消すことができるのか。
一番いいのは、相手が心のこもった自分の言葉で謝ってくれること。その瞬間にすべてのわだかまりが解消されるわけではない。そこまで人間の心は都合よくできていない。でも、「この人も実は自責の念に苦しんでいたんだ」と知ることで、相手のことも自分のことも許そうという気持ちになれる。あとは時間が解決する。
人は恨む気持ちをずっと抱えているわけではない。自分ではとっくに乗り越えたつもりでいることも多いのだけれど、相手が心から謝ってくれたときに、実は自分が心の底ではまだこだわっていたことを自覚する。
そしてその時こそ、ようやく本当にその苦しさから解放されるのだ。
自分が悪いことをしたと思うとき、Suzumeは(ケンカ両成敗な状況でも)自分の言動に関しては謝るようにしている。相手が許してくれるかどうかは、相手の受け止め方次第だ。ましてや、相手が(自らの非について)謝ってくるかどうかだってわからない。でも、謝らなければ、自分の気持ちは相手には絶対に伝わらない。
関係がギクシャクしているときに「言わなくてもわかってくれるだろう」という理屈は通らない。