何とか記念日

所縁はないけれど

今日はフランス革命記念日。またの呼称を、バスチーユ襲撃、パリ祭。何となく、毎年この日が来ると「あぁ、革命記念日だなぁ」と思い、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を思い浮かべる。…と書くと、文学少女だったかのような印象(?)だが、実際は漫画少女出身。小さいときに「ベルサイユのばら」にハマッた名残で、きっとこの日が気になるのだ。一昨年、NHK衛星放送で「ベルばら」アニメ版が再放送されたときも、毎週欠かさず見たし…。
Suzumeはバスチーユ襲撃からちょうど200年目の1989年7月14日、パリにいた。
もちろん、この日を狙って行った。約1ヶ月にわたるヨーロッパ放浪(いわゆるバックパッカー)の旅に出たけれど、パリだけは最初からホテルも予約して合計で10日間ほど滞在した。パリ祭の日は、昼間からシャンゼリゼ通りでパレードがあり、夜には華やかな打ち上げ花火。とにかくものすごく盛り上がった。バスチーユ広場近くの新オペラ座がオープンしたのも、この時。こけら落としの公演チケットは、とっくに売切れだったけれど、学生用の当日券に午後から並んでゲットした。
街中でお茶を飲んだりしていると、フランス人(の男性)は私達に気さくに声をかけてくる。そういうのはイタリア人の専売特許かと思っていたけれど、さすがラテン系。にわか勉強で身につけたフランス語でおしゃべりしたり、ソルボンヌ大学で警備員に頼んで教室の中を見せてもらったり、思い出すとあの頃は本当に楽しかったなぁぁぁぁ。

そういえば

この旅行の行きのフライトがロンドン経由パリ行き、という航路だった。大半の乗客がロンドンで降りた後、パリ祭見物に行くカタールの首長一族の集団が乗ってきた。皆、イスラム教徒の白い装束。その中の若い男性がSuzumeに話しかけてきた。継承権が何番目だか知らないけれど、アル=サーニ家の一員だという。これがまた、英語もそれほど上手ではないのに、こっちが赤面するくらいの勢いでナンパしてくるのだ。
今でこそ、カタールと言えば「ドーハの悲劇」(←このネタももう古いかなぁ)というくらい日本では知名度も高いけれど、当時は「は?カタールってどこにあるの?」という感じだった。特にSuzumeは地理に弱くて、国名すら知らなかったから、席のポケットにある機内誌の地図で教えてもらった。
カタールでもイスラム教徒でも話し相手としてはいいけれど、隣に座ってきて、「パリでどこのホテルに泊まるのか?夜、部屋に行ってもいいか。迎えに行くから一緒に出かけよう。」とか口説かれ続けたら次第に怖くなってきて、違うホテルの名前を教えて逃げた。
あの時、正しい滞在先を教えていたら、今頃はカタールの首長一族の○○氏の第○夫人(一夫多妻制かな?)にでもなっていたのかなぁ(笑)