携帯電話のメール

友達からのメール

大学院の友人から携帯にメールがきた。授業選択の話の後に「携帯変えました」と。どうやら、とうとうFOMAにしたらしい。彼は仕事用と私用の2台持っているから不便だろうなぁ、と思っていた。きっと、今回は小さくて軽量な機種を選んだのだろう。
Suzumeは未だにMOVAを使っている。しかも505isだ。最近の機種に比べれば大きくて重いし、そろそろ替え時なのかも知れない。以前は1年余り使って新機種に買い換える、というサイクルだったのだけれど、今の携帯はちょうど大学院に合格した時に切り替えた、という思い入れがあるので、卒業するまではこのままでいようか、とも考えている。
この携帯で最初に受信したのはSuzumeの家族からのメールだった。「Suzumeが大学院に合格した」という知らせを聞いて、携帯に「おめでとう」とメッセージをくれたのだ。直接連絡を取り合うことなんて年に1度あるか無いかという関係なのに、わざわざメールをくれたことがSuzumeには素直に嬉しくて、このメールは保護設定をONにして保存してある。 
それから、1年次・秋学期の試験の時に大学院の友達からもらったメール。健康が取り得のSuzumeなのに、年明けから風邪をこじらせてしまって試験勉強が全くできず、受験を断念しようとしたときに「受けなければ(単位は)取れないし、(授業を受けてきた)半年がもったいない」とゲキを飛ばしてくれた。この言葉に背中を押されて、厚かましくも1秒も勉強しないまま試験に臨んだ科目。その先生のことはガッカリさせてしまったかも知れないけれど単位はもらえた。そのおかげで今年の春学期は再履修せずに、同じ時間枠の他科目を選択することもできた。このメールも弱い自分の拠り所にするため、大切に「保護」。 
そして、大好きな知人からもらった初メール。この人はPCメルアドは広くオープンなんだけれど携帯は原則非公開。理由は知らないけれど、とにかく皆に教えたがらない。だから殊更にメールをもらえたことが嬉しくて、記念「保護」。
でも、大事なのはメールそのものではなくて、そのメッセージをくれた人達の気持ちだ。そのメッセージに込めた思いや、メールを発信してくれた気遣い。そういう気持ちはメール交換によって育まれるものではなくて、直接のコミュニケーションが基本なんだと思う。