ボランタリー

大学院にて

授業の後、約20名で交流会。秋入学の学生を迎えての親睦が目的。
昨春、Suzumeが入学したときもそうだったけれど、こういうことって制度化されているわけではないので、誰かがボランタリーに骨を折ってくれないと実現しない。最近は個人情報云々で、大学院事務所も新入生の連絡先を教えてくれないし。今回の幹事に感謝。
実はこの「ボランタリー」というのが、結構大変。
Suzumeは有るか無いかの二択だと、ボランタリー精神が有るタイプ。
ロジ担とか店探しとか細々したことの気配りや手配が嫌いじゃない。それで皆が喜んでくれると、とても嬉しいし。
ただSuzumeの問題は、それを繰り返しているうちに、なぁ〜んにも手伝わず毎回ただ参加するだけのメンバーにだんだん不満を抱くようになってしまうのだ。
直感的な整理だけれどでも、reciprocityとまではいかないまでも「できる範囲で協力をしましょう」という全員参加型を相手にも求めてしまうのだと思う。
もちろん、忙しさは人それぞれだし、何もできない人だって当然いる。
Suzumeだって今年の春〜夏は寝る時間も1日3時間くらいの厳しい生活で何かに協力できる状態ではなかったから、そういう立場は理解しているつもり。
だから「協力できない」というだけで不快感を抱くことはない。
でも、ボランタリーに幹事を務めてくれている人だって暇なわけじゃない。この学校に通っている人達は「仕事+勉強」というイッパイな生活を送っていて、そのことは同じ社会人大学院生をしている全員の共通認識のはず。
直接的に労力を軽減する協力ができないのなら、彼らをねぎらって「いつもありがとうね」と感謝する言葉をかけたらいいのだ。
Suzumeが不満を抱くようになる相手は、そういう言葉もなくて「彼らは好きでやっているんでしょ」とか言っている人達。もちろん好きじゃなければ、こんな無償で手間暇のかかることはやれない。
でも最初に「誰かが立ち上がらないと…」という気持ちが彼らの背中を押しているのも事実。この最初の時点で利己的な損得勘定をしているのが「(言葉もかけない)何もしない人達」。
世の中は、後者の「何もしない人達」であふれ返っている。それが現実だ。
その現実を受け止められずに「できる範囲で協力しましょうよ」なんて道徳の教科書に出てきそうな思いを抱いてしまうSuzumeの方が多分おかしい。
「none of your business」なのだ。
頭ではちゃんと理解しているのだけれど、感情が追いつかない。