「ご褒美」の意味

ご褒美

Tiffanyにて

今年もTiffanyで自分の1年を慰労する「ご褒美」を購入。
今回はThe Tiffany Grandの腕時計。フェースがブロンズ色、縁がステンレスで、しかもストラップがステンレスではなく鰐革なのが気に入って。Suzumeは冷たい金属よりも革ベルトの方が好き。実際はステンレススティールのストラップの方が汗染みもできないし、ベルト穴のところでちぎれることも無いから長持ちするんでしょうけれど。
お店で最後まで迷ったのが、これのブルーダイヤル。
ブリリアント・カットのダイヤモンドが周囲にはめ込んであって、ストラップもブルー。カタログだと明度の高い青に見えるけれど実物は落ち着いたターコイズで、シックですごく素敵なのだ。多分、これをつけていたら、誰もがチラッと視線を走らせて「どこの時計かしら、素敵」と思ってくれるだろう。
すごく欲しかったけれど、Suzumeは普段使いで上品な時計を買いたいと思っていたので、涙をのんで見送り。(Suzume的には、ダイヤモンドが周囲にはめてあるのは普段使いではない)
 
先週土曜日の「NIKKEI プラス1」で、「自分へのご褒美」として宝飾品を買う独身30代女性を「お気楽すぎやしないか」と批判する記事が載っていた。30代の働く既婚女性が筆者、とあるが、本当?だとしたら、彼女の捉えかたが歪なのではないかと思う。
まず最初に。確かに「褒美」は実質的には「何かを達成した対価」なのかも知れない。でも国語辞典には「ほめて与える品物や金銭」と書いてあるだけで「何かを達成した」ということは要件ではないのだ。
実社会においても、何かを達成できなくても褒めたり労ったりすることは重要だ。この筆者は自分の子供が「靴を自分ではいて外に行けたら」褒美をあげたことが正しい意味であると書いていたが、この子がどれだけ頑張ってもその日に履けなかったら?涙をためて一生懸命に靴と格闘して頑張っているのに履けなかったら?「履けないんだから、対価はあげないわよ」と冷たく言うのだろうか?「今日は両足は履けなかったけれど、左足はできたね。頑張ったね。」とか、プロセスを評価して褒めるでしょう。(そうしてあげなかったら親じゃないっ。)
それから。OLは「だれもくれなかった褒美をわざわざ自分に贈る(なんて悲しい、と書いてあった)」のではない。それは最初から欲しい物なのだ。そして、その品物を欲望のままに買い求めるよりも、せっかくだから何らかのイベント記念に買いたい。その方が楽しいし、少しの間「お預け状態」にしておいて再考するに足る高価な買物だからだ。自分なりのターゲットを定めて「頑張り通せたら買おう」「○○になったら買おう」という「支出計画」を立てているに過ぎない。それを総称して、メディアが「自分へのご褒美」と書いている。
この記事の筆者が日経新聞の記者だとしたら、彼女にはメディアの人間として、もう少し世間の実態を見通す目を養って欲しいですね。