素直とわがままと正直と

子供の頃から「わがままはダメ」って親に言われ、でも祖母からは「女の子は素直なのが一番かわいい」と常に言われて育った。
自分の欲求を通したい、満たしたい、という気持ちに駆られたときに、素直とわがままと正直の境界線がわからず、いつもいつも混乱してきた。自分の欲求や要求水準が平均(というものが存在するのなら)よりも色んな意味で厳しいレベルにある、という思いがあるから、どの程度を加減すればいいのかも手探りで自然体ではいられなくて。
厄介なのは、こういうことは受け手の解釈が全てだ、ということ。
自分では素直な態度をとっているつもりでも、相手はわがままな要求だと思うかも知れないし、それをプレッシャーに感じるかも知れない。でも、そう思わせてはいけない、と気遣って自分を抑えこんでいると、相手には何にも伝わらないかもしれない。
正直に何かを言うことは、相手を傷つけるかも知れない。でも言わないことが、また相手を傷つけているのかもしれない。
そんなことに20年以上も悩み続けているのだけれど、この間、友人の結婚披露宴で素晴らしい詩を聞いた。吉野弘さんの「祝婚歌」という詩。友人の職場の先輩が、お祝いのスピーチで朗読したのだけれど、大切に思う数々の人たちと接するときの全てに通じる大事な何かを気づかせてくれる詩だと思った。特に第5段落は、正論を真っ向から相手にぶつけてしまいがちなSuzumeが常に噛みしめなければならない言葉。
 
 二人が睦まじくいるためには
 愚かでいるほうがいい
 立派すぎないほうがいい
 立派すぎることは
 長持ちしないことだと気付いているほうがいい
 
 完璧をめざさないほうがいい
 完璧なんて不自然なことだと
 うそぶいているほうがいい
 
 二人のうちどちらかが
 ふざけているほうがいい
 ずっこけているほうがいい
  
 互いに非難することがあっても
 非難できる資格が自分にあったかどうか
 あとで疑わしくなるほうがいい
 
 正しいことを言うときは
 少しひかえめにするほうがいい
 正しいことを言うときは
 相手を傷つけやすいものだと
 気付いているほうがいい
 
 立派でありたいとか
 正しくありたいとかいう
 無理な緊張には
 色目を使わず
 ゆったり ゆたかに
 光を浴びているほうがいい
 
 健康で 風に吹かれながら
 生きていることのなつかしさに
 ふと胸が熱くなる
 そんな日があってもいい
 
 そして
 なぜ胸が熱くなるのか
 黙っていても
 二人にはわかるのであってほしい