我々はどこへ行くのか

suzume-smile2009-09-22

明日で閉幕の「ゴーギャン展」に行ってきました。ずっと行きたかったのですが、7月に思いも寄らず怪我をしてしまい、自由に外出できない状態が続いたり、ほぼ治った後も何やかんやと忙しなく。「9月の連休に行ければいいか」と考えていました。それに、行くのを先延ばしにしていた理由がもう1つありました。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

Suzumeが子供心に19〜20世紀の絵画に興味を持ったのは、多くの日本人と同じくルノワールがきっかけでした。今でも覚えているのは、多分、読売新聞の景品だと思うのですが、台所にルノワールの作品をプリントしたお盆があり、夕飯時に配膳のお手伝いをするとき、小さいSuzumeは必ずそのお盆で食事を運んでいました。塗りのお盆などもあったのに、それがSuzumeのお気に入りでした。
色んな変遷があって、ゴーギャンマチスのような、色使いがはっきりしてメッセージ性のある絵画に関心が向くようになったのは20歳を過ぎてからです。特にゴーギャンは、あの時代に、今で言う証券マンとして成功をおさめて妻子と中流家庭を築いていながら、30代になってから画家に転身し、人間の根源を探求する人生を送るという、少し変わった経歴を辿りました。残された家族から見ればすごく身勝手でもあるけれど、それだけ彼の内面には何か「野性」に回帰したい、という強い欲求があったのでしょう。それを作品を通して感じてみたい、という気持ちに駆られました。その頃に、そう思うようになった契機があったのも事実です。
ゴーギャンの特徴的な赤や緑、黄色といった色使いは、ブルターニュやアルルを描いた作品でも多用されていて、あれがタヒチの象徴ではないことはすぐにわかります。でも、同じ色を使っていても、タヒチやマルチニーク島の作品はメッセージの強さがまるで違う。ちょっとSuzumeには刺激が強すぎるというか(裸身女性が描かれているから刺激が強いのではありません。念のため。)、普段は正面から向き合って考えていないことを突きつけられる気がするのです。「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の本物を見たのは今回が初めてです。でも今までも画集などで何度も見てきました。その度に「リアルに見たら、色々と考えちゃうだろうなぁ」と思ってきました。だから、少し躊躇しました。躊躇してもなお、見に行きたい気持ちを抑えられない、そんな魅力がこの作品にはあると思います。
ところで今、Suzumeはすでにゴーギャンが証券マンから画家へ転身した年齢を過ぎているのですが、あらためて、彼の勇気をすごいと思います。それまでの日曜画家としての活動や、画家仲間との交流、といったベースがあったにせよ。将来に後悔するかどうかを心配するよりも、今を後悔しない生き方を選んだ、ということなのでしょうか。